AAAゲームはなぜ同じ行き止まりを回り続けるのか?
AAAゲームはなぜ似た道に集約されるのか。Tim CainとMark Darrahの見解を軸に、開発費高騰、live-service依存、収益モデルの行き詰まりを読み解く。

AAAゲームが抱える今日の問題は、ひと言でいえば「リスク」だ。開発予算が膨らむほど、スタジオは同じ安全な港へと逃げ込む。live-service、マイクロトランザクション、そして長期的な収益への期待だ。だが、その港は思っているほど安全ではない。なぜなら、すべてのゲームが永遠に遊ばれ続ける必要はないし、すべてのプロジェクトが発売後に稼ぐために設計される必要もないからだ。問題はまさにそこにある。大規模予算のゲームは、もはや創造的な挑戦というより、財務的なストレステストへと変わってしまっている。
Tim Cainの発言は、この状況を痛烈に要約している。Falloutの中心人物であるCainは、業界が1983年の崩壊級に達しているとは言わないものの、これまで見てきた中で最悪の時期だと考えている。この言葉は大げさに聞こえるかもしれないが、その裏にある感覚は明確だ。大量のレイオフとプロジェクト中止が同時に語られているなら、そこにあるのは一時的な揺れではなく、構造的な詰まりである。Cainの警告が重要なのはそのためだ。危機は昔のように一度の大爆発で起こるのではなく、複数の前線で同時に進行している。
この詰まりの中心にあるのが開発コストだ。Mark Darrahもまさにそこを指摘している。BioWareで長年Dragon Ageプロジェクトに携わってきたDarrahは、大規模ゲームの制作費がいまや数億ドル規模に達しており、そのため多くのプロジェクトが発売後コンテンツやlive-service要素で延命を図ろうとしていると語る。要するに、ゲームを作るコストが高くなるほど、パブリッシャーはリスクを避けるため、それをより長く金を生む機械に変えたがるのだ。だが問題は、すべてのゲームがその役割に向いているわけではないことだ。
なぜ数億ドル規模のゲームは同じ道に進むのか?
AAAモデルが似通っていく理由は、創造性の欠如ではなく、数学的な圧力にある。ゲームが莫大な予算を回収しなければならないとき、デザイン上の判断も収益予測に結びついていく。Darrahの言葉はそれをはっきり示している。すべてのゲームがlive-serviceになれるわけではない。それにもかかわらず、業界が特にマイクロトランザクションや継続課金モデルに寄りかかるほど、あるジャンルは押し上げられ、別のジャンルは弱っていく。つまり脅かされているのは、異なるゲームだけではない。異なるゲームの作り方そのものだ。
Darrahが注目するもうひとつの点は、サブスクリプションサービスだ。Xbox Game PassやPlayStation Plusのような仕組みは、すべてのゲームにとって救いになるわけではないという。これらのプラットフォームに乗ることが、必ずしも期待通りの利益をもたらすとは限らないのだ。しかも、このモデルは一部のプロジェクトを、「数字上の成果」のためだけに設計された、より攻撃的なデザインへと押しやることがある。つまり、解決策として提示されるものが、新たな圧力の場を生み出してしまうこともある。だからこそ、問題は「サブスクは良いのか悪いのか」ではない。本質は、大作ゲームが自前の経済基盤の上にどれだけ立てるか、なのだ。

Darrahは、この行き詰まりを破るヒントとして、映画やテレビの世界に目を向けている。彼の提案は、映画やドラマで使われているプロダクトプレイスメントの考え方を、ゲームでももっと広く活用できるのではないか、というものだ。Smurfsの例を挙げ、いくつかの映画企画はプロダクトプレイスメントによって制作費を回収できていると述べている。ゲームに同じ手法をそのまま当てはめられるかは別問題だ。だが、この提案自体が、業界がどれほど新しい収益アイデアを求めているかを物語っている。現行モデルは、もはや全員を支えきれていないのだから。
映画的な発想はゲームの解決策になりうるのか?
プロダクトプレイスメントという発想は、第一印象では不快に感じられるかもしれない。ゲームの中にブランドや契約、商業的要素が入り込めば、プレイヤー体験が損なわれる可能性もある。だが、Darrahのアプローチはもっと実利的だ。彼が言いたいのは、ゲームを広告だらけにすることではない。すべてのプロジェクトを、ひとつの収益経路だけに縛らないようにするべきだ、ということだ。この違いは重要だ。というのも、業界はしばしば二極化しているからだ。完全に広告なしの重厚な予算構造か、live-service圧力で膨らんだ経済圏か、のどちらかに偏りがちなのだ。
IGNが伝えた文脈は、この議論をさらに具体的にしている。Darrahは、大規模ゲームでlive-service要素が広がった根本的な理由を、コストの継続的な上昇として説明している。同じ文脈で、「ゲームはもはや数億ドル規模の費用がかかる」という点も強調されている。こうした状況では、パブリッシャーがリスク回避に走る理由は理解できる。だが、その理解はモデルを正当化するわけではない。むしろ、業界が今どこで詰まっているのかをより見えやすくするだけだ。
Darrahの言葉の中でも、おそらく最も重要なのはこれだ。「すべてがlive-serviceである必要はない」。この一文は、ここ数年の業界を最もよく要約しているように見える。なぜなら、live-serviceモデルの成功が、他のモデルの失敗を見えなくしてしまうからだ。あるゲームが発売時に大金を稼がなかったとしても、それだけで失敗作とは限らない。もしかすると、そのゲームはデザイン上、別の目的に奉仕しているのかもしれない。だが業界の財務言語は、そうした違いをあまり気にしない。その結果として残るのは、互いによく似たプロジェクト一覧だ。
ここで反論も成り立つ。live-serviceモデルは、確かに一部のゲームにはうまく機能する。そう、これは事実だ。だが問題は、このモデルが例外ではなく前提になってしまうことだ。もしすべての大作ゲームが同じ経済ロジックで作られるなら、多様性は失われる。Darrahが恐れているのもまさにそこだ。影響を受けるのは収益モデルだけではない。どんなゲームが「作る価値がある」と見なされるか、その基準自体が狭まっていく。それは長期的に見て、業界の創造性を削ってしまう。
出典
- https://www.pcgamer.com/gaming-industry/fallout-lead-tim-cain-argues-games-industry-crisis-hasnt-reached-the-level-of-the-1983-crash-i-dont-think-theres-ever-been-a-worse-time-in-the-games-industry/
- https://www.pcgamer.com/gaming-industry/former-bioware-producer-says-we-could-be-saved-from-a-world-where-theres-no-aaa-games-that-arent-live-services-by-looking-to-movies/
- https://www.ign.com/articles/video-games-could-have-movie-style-product-placement-to-counter-rising-costs-ex-dragon-age-boss-says
- https://www.eurogamer.net/xbox-hires-analyst-asha-sharma